- 代表
- 青井 亮介
Ryosuke Aoi
【 所有資格 】
- はり師・きゅう師
- あんまマッサージ指圧師
- 機能訓練指導員
当院のご案内
ご利用者様が安心して快適な生活を送れるように、またご家族様の介護が少しでも楽になるように、お一人おひとりに寄り添った治療をしてまいります。
名称 | はり・きゅう・マッサージ あおい |
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住所 | 〒490-1222 愛知県あま市木田池成19番地34 |
電話 | |
FAX | |
代表者 | 青井 亮介(あおい りょうすけ)
はり師・きゅう師、あんまマッサージ指圧師、機能訓練指導員 |
事業内容 | 訪問によるマッサージ・鍼灸・運動療法 |
訪問エリア | 津島市・あま市周辺 訪問エリア |
休診日 | 日曜日、一部土曜・祝日 |
営業時間 | 8:00〜20:00 |
訪問専門治療院『はり・きゅう・マッサージ あおい』代表の青井亮介です。
『あなたを笑顔にするお手伝い』をモットーに、お一人でも多くの方が笑ってお過ごしになれるよう、日々【こころ】と【からだ】のケアを行っています。
さて、ここで自己紹介をさせてください。
私は1986年4月3日静岡県で生まれ、2歳の頃、父親の転勤で愛知県に引っ越してきました(両親はもともと愛知県出身)。
6歳上の兄と4歳上の姉がいる3人兄姉の末っ子で、小さい頃はいつも兄と姉の後ろに引っ付いてた甘えん坊で…。
小学校で始めた卓球でも、福原愛選手みたいにビシバシに鍛えられるはずでしたが、いつも泣いてばかりで、“泣き虫愛ちゃん”ならぬ“泣き虫亮ちゃん”と呼ばれる、かわいい(?)男の子だったようです(笑)
そして、中学校でももちろん卓球部へ入部!──したものの、当時流行っていたバスケットボール漫画(スラムダンク)の影響であっさりバスケットボール部に転部。成長期で身長が伸びていたおかげかセンターという花形のポジションで、バスケ小僧まっしぐらでした。その反面、この時期は反抗期でかなり荒れてしまい、今でも当時のことは両親・兄弟・祖母に謝っても謝りきれないほどです。
高校では反抗期も落ち着き建築科のある学校に進学、卒業後は建設会社に就職をしました。
──そんな私がなぜ鍼灸マッサージの道を目指したのか? それは、ある大病を経験した事からです。
社会人1年目、入社半年ほど経った頃に血便が毎日出るようになりました。上司のすすめで病院を受診したのですがなかなか原因が分からず、いくつか病院を回った後に紹介された大学病院で、早期に手術をしないと5年後の生存率が極めて低い病気である事が判明したのです。そしてすぐに検査入院、そのまま大腸を全摘出する大手術をする事に──。
術後半年は人工肛門で過ごし、また小腸を肛門括約筋と繋げる手術を行いましたが思うように回復せず、腸閉塞を繰り返してなかなか退院できずにいました。
この頃は体重もかなり落ち、頭にはツキノワグマみたいな形の円形脱毛症が…。心身ともにどん底で、毎日隠れて泣く日々を過ごしていました。
そして、そんな私を見るに見兼ねた母が鍼灸マッサージをしている古くからの友人に相談したところ、病院に来てくださって話を聞いてくれたり、無償でマッサージをしてくださったり。その方との時間を過ごしているうちに身も心もとても軽くなったのです。
これがきっかけで『自分と同じようにベッドの上で苦しんでいる方の力になりたい!』と鍼灸マッサージの道を歩む決意をしたのです。
退院した翌年、名古屋鍼灸学校に入学、勉強は得意な方ではありませんでしたが何とか卒業、無事!国家試験もクリア!
鍼灸接骨院・整形外科・治療院での10年の治療経験を積んだ後、育ったこの地、あま市で私が体験したベッドの上で痛みや苦しみと闘ってみえる方々のお力になるべく独立開業『訪問リハビリマッサージ はり・きゅう・マッサージ あおい』を立ち上げたのです。
ひとりでも多くの病で苦しんでみえる方、そしてそのご家族の笑顔を取り戻すお手伝いをするのが私の使命です。
皆様の太陽になれるよう日々、精進してまいります。どうぞ宜しくお願い致します。
代表 青井亮介
■ 代表 青井亮介 profile | |
生年月日 | 1986年(昭和61年)4月3日うまれ |
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星座 | おひつじ座 |
血液型 | O型 |
干支 | 寅年 |
趣味 | 旅行(温泉など)、ドライブ、食べること大好き((とくにデザート系の甘いもの)現在、横に成長中) |
経歴 | 名古屋鍼灸学校卒業。整形外科病院、鍼灸接骨院などで約10年の治療経験を経て、訪問専門治療院『はり・きゅう・マッサージ あおい』を開業 |
青井亮介とはこんな人 | 良くも悪くもマイペース、のんびり屋、明るい、よくしゃべる、こうみえて実は繊細(笑) |